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Eisen's Corner
コラム編
朋有り遠方より来たる
2007. 02.08
たまたま論語の一文を考える機会が会った。中国には2年程駐在していたが中国語は難しい。駐在時の通訳兼秘書さんが日本企業に勤める為に東京に来ていたので、彼女に教えて貰いながら改めて勉強し、下記にまとめてみた。

ご存知の様に論語(Lun yu)とは、孔子と彼の高弟の言行を、弟子達が、前漢初期から後漢末期に現在の形にまとめたものである。応神天皇の代に百済王仁と言う人により伝えられ、律令時代の官吏必読の書であったとされている。全20編で構成されており、朋有り遠方より来たる はその中の 学而-1に収められている。参考の為、下記にピンイン(発音)を付けて示す。(四声を○数字にて示してみたが、抑揚を示す記号も追加してみた。)

①¯   ②/   ③V   ④


V  ¯   /  /  /  /  ¯         ¯  

③ ①  ②   ②  ②  ②  ①  ④   ④   ④  ①

ZI YUE XUE  ER  SHI  XI  ZHI   BU   YI  YUE HU
子  曰、  學   而   時  習  之、  不   亦  説  乎、


V     /      V    ¯   /   \     ¯
③    ②    ④   ③   ①   ②   ④  ④  ④   ①
YOU PENG  ZI  YUAN FANG  LAI  BU  YI  LE  HU
有    朋   自   遠    方   来、  不  亦  楽   乎


/     ¯  /         \   ¯    V    ¯ 
②   ④  ①  ②  ④   ④  ④   ④   ①   ③   ①
REN BU  ZHI  ER  BU  YUN  BU   YI   JUN   ZI   HU
人   不  知   而  不   慍、  不   亦   君   子    乎

子曰わく、学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや。
朋有り遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずして愠(うら)みず、亦君子ならずや。

原文は日本で言う 古文(=漢文)であり、それを現代中国語で示すと下記の様になる。

孔子説,学習知識而常常温習它,不是很高興的事??

有学友 従遠方来(相互交流)、不是很快楽的??

不被人了解,也不悩怒,不是真君子??

※『子』とは男子の通称であり此処では孔子のことを指す。

※ 朋は同門を指す。ここでは「学友」が妥当。現代では広範囲の「友達」との意もあるが。

※ 直訳の場合、「相互交流」はいらないが、意味としてこれを入れる。

※ 慍とは怒のこと、ニュアンスは「おこる」より「いかる」に近い、「不悩怒」と訳される。※ 君子とは紳士のことであり、ここでは「立派な人=徳の高い人」の意味。

又、中国語は文法的に英語に近く、英語での説明も多い。入手出来た資料に手を加えてみた。

The 時 means "timely" or "at regular intervals," rather than "occasionally." So Confucius is saying that you should return to what you have studied and keep reviewing it, and by doing so, your understanding will deepen and you will "make it your own." (If you say something over enough times, it will be part of yourself.)  There is nothing quite so pleasant as visits of friends coming from far away, because then you can talk about your studies with them who also study the same. But sometimes people don't acknowledge or understand your studies, he says, it is gentleman-like not to get annoyed. The 説 means a continuous, sustainable happiness, while the 楽 associated with a friend's happiness is a sudden or relatively short time happiness.

この様な事から、日本語訳としては概ね、下記となろう。

孔子はおっしゃっている「教えられた事を受け入れ、時々に応じそれを復習し身に付ける。なんと心嬉しいことではないか。学友が遠方より訪れ、(お互い議論に興ずる)なんと楽しいことではないか。世間が自分を認めてくれなくても其れを怒(いか)らず、(穏やかな心で自分の道を貫く。)これこそ本当の立派な人と言えるのではないか。」

上記を踏まえ調べてみると、下記の様なエレガントな纏め方もあった。

The Confucius said, "Is it not pleasant to learn with a constant perseverance and application?  "Is it not delightful to have friends coming from distant quarters, and talk each other about what they have studied?"  "Is he not a man of complete virtue, who feels no discomposure though men may take no note of him?"

又、「子曰 不患人之不己知 患己不知人也」=『人が私のことを知らないと言う事等は気にせず、私自身が人の事を知らないという事を気にしなさい。』とも紹介されている。本当に、他人のことを知ろうとしない、つまり自己中心的となることから、様々な不協和音、問題が生じる。人と接することの多い、我々消費生活アドバイザーは、孔子の教えを今一度噛みしめてみる必要があると自戒するこの頃である。(筆者の誕生日に記す。)

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