消費生活アドバイザーで構成する「あすか倶楽部」の1月の定例会で、㈱つくばウェルネスリサーチ 研究開発部部長 伊藤浩一氏による 「メタボリックシンドローム撲滅について」と言う講演があった。
あすか倶楽部随一のメタボに認定されそうなU氏が、さすがにまじめに出席をされていたのには納得。でも、ほぼメタボには関係ないと思われるスラリとした美女の一群も。これは真面目な知識欲の現れと思うが、さすが「あすか」である。
しかし国のメタボの一応の目安が、ウエストで男性85cm、女性90cmというのには納得行かなかった。一般に我々男性より非常に細い女性のメタボの判定基準の一つがウエスト90で男性より大きいと言うのは幾ら何でもオカシイのでは?
処で、この講演の中で、「20年度からの医療構造改革の特徴」として約8兆円の医療費削減の為に、下記項目が実施されると言う話があった。
・2015年までに生活習慣病の有病者・予備軍25%減 目標
・医療保険者に対して生活習慣病に関する健診・保健指導の義務化
・アウトカム評価に基づき保険者にアメとムチ施策
2013年度からは、検診受診率、保健指導実施率、糖尿病などの有病者・予備軍の減少率、保健指導効果の評価、医療費適正化効果等の指標から、後期高齢者医療制度で保険者が負担する支援金の加減算(+-10%の範囲)
この「アウトカム評価」と言うのに大きな疑問があり、これに付いての問題点を整理してみたい。
あまり耳慣れない言葉と思うが、アウトカムと言うのは、何であろうか。
先ず、会社等での業務プロセス(工程)を考える。前の工程から、何らかの業務(仕事)が依頼され、各種の作業や努力が投入(入力=インプット)され、ある種の成果物(出力=アウトプット)が出てくる。これが一般にIPO(Input,
Process, Output)と言われる関係である。この入出力には何らかの(正や負の相関)関係がある。即ち、○人が○時間働いて製品を何台製造したとか、不良数を削減したとか、何らかの計算結果を帳簿に記載をしたとか、努力に対して成果の相関がある。
アウトカムOutcomeと言う言葉は通常、このアウトプットと同義語の様に使われている。しかし実は異なる。どう違うかと言うと、Outputされたものによって引き起こされた結果をアウトカムと言うのである。これは、前の系のOutputを入力とする、次の系からのOutputと考えてもよいが、異なるのはこの新しい系では入力と出力の関係に必ずしも比例関係や相関関係があるとは言えない(又は少ない)点である。
会社のレベルで考えると、会社からのOutputが社会でどう受け入れられたかがOutcomeである。必ずしも、努力した結果と相関がある訳ではなく、他の人や社会のそれに対する反応、理解、解釈が含まれていると言うのが基本的な相違である。
株価等はアウトカムの代表的例であろう。会社の業績により、ある程度は努力が報われるが、競争相手や消費者の好みの変化、経済情勢、または機関投資家の判断等により、株価は大きく揺らぐ。医療行政等もこのアウトカムの部分が大きい。インフルエンザの流行を予測して各種の手を打つが、有効に効く場合もあるし、不発に終わる場合もある。エイズ撲滅の各種運動も、全体としては拡大を防ぎ、将来的には縮小、撲滅になる可能性はあるが、短期間での成果は努力には比例しない場合も多い。
又、日本がかなり大きな予算を注ぎ込んでいる各種の海外支援も、その○○億円と言う額はOutputであるが、それがどう使われて、その国の発展や復興の役に立っているか、どの様に評価されているかはOutcomeである。このOutcome/成果を評価すると言うのは場合によってはOutputより重要である。途中でネコばばされたりせずに、有効に使われれば、また、本当に有益な処に投入されれば、少ない額の援助・支援でも、かなりの成果があげられる為、評価の仕組みとしては非常に良い場合もある。
つまり、アウトカムと言うのは投入された努力の多寡にはあまり関係なく、結果・成果・業績に注目しているのである。しかし、この業績評価と言うのは良い面もあるが好ましくない面もある。
通常、社員は会社の業務方針や上司の命令で業務を行い、努力している。努力の方向が間違った為に業績があらないというのは通常個人の問題ではなく、業務方針の問題である場合が多い。それにより社員の努力が無になる(評価されない)のは経営の問題である。この為、成果のみではなく、やはりその努力にも報いるべきではないかと言う話がある。
この様な事も一因となり、かつて業績評価と言う言葉で始まったグローバライゼーション、(即ちアメリカナイゼーション)に対し、最近見直しの声が大きくなりつつある。やはり日本的経営に戻るべきではないかと言う反省である。問題はこの様な中、アウトカムを医療行政のアメとムチ政策に結びつけて良いものかどうかである。
確かに、成果が上がらなければ、医療費の削減は出来ないので、成果を追及すべきと言うのも理解出来る。又、検診受診率、保健指導実施率の向上等はOutputとも言え、努力と成果が比例関係になる可能性が高く、努力を求めても良い。場合によっては糖尿病などの有病者・予備軍の減少率もそう言える範疇かもしれない。
しかし、糖尿病などの有病者・予備軍の削減を言えば(施策では削減率と努力が生かされる部分もあるが)、適用を間違えればそういう社員の存在や入社も拒否されかねないし、一度発病すれば削減対象となり、肩身の狭い思いをせざるを得ない。又、保健指導効果では様々な努力をしても報われない事も多くなろう。医療費適正化効果に至っては誰がどう評価するかも不明である。
それにも関わらずOutcome/成果を言うことは、一見、企業に采配の自由度を与え、成果を出せばより多額の支援が得られる様に見えるが、医療機関でも未だ認知されていない様な様々な対応、各種の努力を企業に求め、成果のあった場合のみ、支援金をあげると言うに等しい。
会社の業績を考える時、円高や世界の経済情勢変化迄予測しながら舵を取る責任が、企業の社長には求められている。この為、アメリカが風邪をひいたらどうなるかも、リスクテイクしなければならないのが大企業の社長に果たされた宿命である。ここではどんな言い訳も言えない。
しかし医療行政の分野での保険者としての活動でもこの様な事を求めているのであろうか。行政が、どうやったら良いか分からないから、各企業に様々な実験をしてもらい、その成果を摘み取ると言う趣旨なら、理屈はわからないでもないが、仮にそうだとしたら、行政等不要である。
行政と言うのは問題解決の方針や方向、やり方を示し、これだけの努力をすれば、これだけの利益・価値があがるからやりなさいと言う指針を出し、その為の仕組みを作るものであり、その場合Output評価で足りる筈である。にもかかわらず、とにかく努力しなさい、結果が良ければ褒めてあげます風のやり方、アウトカム政策を打ち出した行政は自らの責任放棄をしているに等しいのではなかろうか。
今後の医療構造改革の方向を注意深く見守る必要がある。
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