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「遺伝子組み換え技術への幾つかの疑問!」
消費生活アドバイザー 渡部英宣
2009/05/19 
はじめに
 昨年、消費生活アドバイザーの集まりの一つである「あすか倶楽部」にて日本モンサントの佐々木幸枝氏に遺伝子組み換え(GM:Geneticcally Modified)技術のお話をお聞きするチャンスがあった。氏の説明は漠然と不安感を持つ我々に対し、遺伝子組み換え技術の初歩の知識を教えてくれた。

経済産業大臣認定の消費生活アドバイザーは企業と消費者の間に立ち、消費生活に関する様々な問題点とその解決への取り組み、各種の提言・アドバイスをする等、比較的問題意識の高い人の集まりである。特に食の安全等には非常に煩い人が多い中、佐々木氏の説明にかなり多くのアドバイザー達が宗旨替えと言うか、遺伝子組み換え技術を肯定的に受け取る様に変わって来た。しかし、小生には未だ漠然とした不安感が残っている。
そこで、同じ様に問題意識の高い、モラル会ではどの様に受け取られるか、再度お話をお聞きし、議論を深めたいと思ってお願いしたのが、今回の講演である。

佐々木氏の説明でかなりの事が理解出来てきたが、小生としては残った疑問もある。Q&A時に提示されたコメント、それに、モラル会会長の安原氏のHPの内容を基に、遺伝子組み換え技術に纏わる色々な疑問点を思いつくまま書いてみたい。但し、学術的なものではなく、一消費者の単純なフィーリングをベースの駄文であり、しかも現時点での疑問である。佐々木氏よりは色々な情報を提供をして頂いたので、これから勉強させて頂き、それらの疑問点の殆どが解決されるかも知れないと思っていることをお断りしておく。

遺伝子組み換え技術
生物界における進化の過程は、交配に於ける優勢遺伝子の選択性や、交配時における一種の突然変異がもたらして来たものが環境の変化に適応出来たものが残って来たものと考えられる。従って交配もある種の遺伝子操作ではあるが、異なった種の間での遺伝子の交換が無い為、良くも悪くも限定され、変化にはかなりの時間と偶然が必要であった。ある面での種の保存が有効に働いて来た可能性がある。

しかし、作今の遺伝子組み換え技術は、交配に寄らず、遺伝子を直接操作することが出来る様になり、それこそ、ヒラメの遺伝子をトマトに組み込み、低温に強いGMトマトを作ろう等の、異種の生物間の遺伝子の切り貼りが出来る様になってきている。こうなると、従来はレセプター等、鍵穴の形状違いでくっつく事が無かった(防いでいた)部分が、その防御の機構に崩れを生じ、鍵の中の留め金にダイレクトに手を掛ける様になってきているのである。

ところで現在は遺伝子夫々の作用が漸く判りかけて来ただけの遺伝子の働き解明の初期のレベルであると思う。逆に言うなら、その各々の遺伝子の組み合わせにより、どの様な事が起こるのかは未だ殆ど判っていないのではなかろうか。特に異種間の生物の遺伝子を切り貼りするとなると、将来どの様な影響がでてくるかは実のところ、全く判っていないのでは? 従って判っている範囲内の遺伝子を操作して、ある種の成果を得られたとしても、それを引き金に他の多くの遺伝子へ何らかの影響が出て、世代の交代の中で、全く新しい影響をもたらすことが出てくる可能性がないとはいえないのではなかろうか。そこに遺伝子組み換え技術の大きな恐さがある。

例えば、本来はある植物だけの病気であった物が何時の間にか動物に、果ては人間に迄影響を与える様にならないとも限らない。つまり、自然界の掟でかろうじて守られていたある種の防御機能が失われ、現在大きな社会問題となっているSwineインフル(豚インフルエンザ)や鳥インフルだけでなく、ありとあらゆる病気が突然変異によって、人間に襲い掛かってくる、それこそ何でもありの事にならない保証は無いのではと言う疑いである。

牛肉を食べたからと言って牛になる訳ではないと言うのは影響を楽観視する簡単な例えであるが、牛の機能の何らかの気質、遺伝子レベルの違いが取り込まれる可能性が全く無いとは言えないことになるのではなかろうか。勿論、食べた肉は胃の中で分解され、消化され、体内に蓄積される事はないとの事であるので、ハエ人間の誕生等はSFの世界だけで通用する荒唐無稽の話しではあろう。

しかし、自然界の進化の過程では何万年も要した事柄が、科学的、意図的に行なわれる遺伝子組み換え技術の場合、極く短期間の遺伝子操作で物凄い変化が起きる可能性があり、繰り返し行なわれる遺伝子レベルの攻撃に対し、除除にでは有ろうが意図しなかった大きな変化が出て来る可能性がないとはとは言えないと感じる。特に幾つかの遺伝子が操作された場合の組み合わせによる総合的な影響は、起きてみなければ判らない事があるのではと言う漠然とした不安が残る。


未知の領域
人は農村に育ち、牛や馬等の家畜と共に生活していた時には、アトピー性皮膚炎や、花粉アレルギーを始めとする、各種アレルギーは殆ど無かったという研究報告がある。そしてその一つが今はもう忘れ去られている回虫のポジティブな効能であったと言う研究である。人間への寄生虫である回虫を絶滅する為に各種の努力が行なわれ、全てが衛生的になり、近代的な生活になるに従い、今や体内に回虫がいる子供達は余ほどの特殊の農村でなければいないのではなかろうか。其れが為、従来、回虫が出す何らかの蛋白がアレルギー発生を防いでいたが、回虫がいなくなった為に、その蛋白質が体内になくなり、アレルギーが起き易く成って来ているのではとの研究である。このことから、回虫を意図的に体内に戻す事によりアレルギーが治った等の話がある程である。

この様な 「風邪が吹けば桶屋が儲かる」 式の一見関係ないつながりが自然界にまだまだ多く存在している可能性がある。しかし、遺伝子組み換えにより、この様なつながりが断ち切られたり、又は起きて欲しくない繋がりが将来出来てしまう可能性も秘めているのである。詰まり、遺伝子の組み合わせは、何時、何処に、何をもたらすか等は未だ全く判っていない、本当に未知の領域であるのではなかろうか。


世の中に全て良い物と言うのはありえない。
働き蜂の集団の中には働かない働き蜂が必ず2割程いるそうである。そしてその働かない働き蜂を取り除くと、残された蜂の中に又働かない働き蜂が2割位発生するとの研究がある。

人間の世界でも、あまり働かない、「寄らば大樹の陰」的な人がおり、組織のお荷物になっていると言われている。しかし、ごく優秀な人だけで作った、働かない人がいない組織は逆に物事が上手く回らないとも言われている。組織全体に遊びがあり、「無用の用」をなしていて初めて組織が上手く機能すると言う現実の社会もある。

人には適材適所があり、その人個人の好みには適さないかもしれないが、集団としてみた場合、その機能、職種を担当する人たちが上手く配置されているから、全体として上手く機能すると言うのが現実の社会であり、優秀な人だけの集団では「船頭多くして船山に登る」の例えどおり、上手く行かないというのが定説である。ヒットラーの我が闘争の中で、優秀なドイツ人だけを選別し、その子孫を増やすと言う試みがなされた記述があるが、どんなに優秀な人を連れて来ようとも、いくら頑張っても、ある一定世代を過ぎるとその種の平均値に回帰することが判っており、ヒットラーの試みは絶対に成功しない、生物学上の試みであったと言われている。

一頃就職先の人気No1であった、S社の最近の不振ぶりは、嘗て就職希望者・応募者が多い為、あまりにも選り取りみどりで 「優秀な人材」 だけを入手して来た付けが回って来ているとの論もある。全てを卆なくこなし、上司や周りからの受けの良い、一般的に言う、「勉強が出来る優秀な人材」が多くなり過ぎた為では無いか。
詰まり、新しい、人と違った物の考え方が組織として出来なくなり、あっと言う様な面白い、凄い発明・発見が出て来なくなって来たのでは? S社の不振はそれが現実となって来たたのではないかという話である。S社の人事が「優秀な人材」を選ぶのではなく、個性豊かなとか、変わり者とか、選択基準を多様にしていれば現在の様な不振は起きなかった可能性もあるのである。

今回の資料の中の写真に「ラウンドアップの影響を受けない遺伝子組換え大豆の畑」があるが、見事なまでに雑草が枯れ、青々とした大豆の苗だけが生育しており、その効能の素晴らしさが説明無しに実感される。
たった一回のラウンドアップでこれだけの成果があるとすれば、生産者が飛びつくのは頷ける。しかし、あまりにも見事な、雑草の全くない畑に、奇妙な違和感を覚えるのは小生だけであろうか。

今回の佐々木氏の説明では遺伝子組み換え技術の負の部分、好ましくない部分は触れられてなかったが、良さの裏側には必ず何かの負の部分があるに違いないと言う思いが、正の部分(効能)


が大きければ大きい程出てくるのである。何事に於いても良いことだけがある筈は無いと言う世の中の一般常識の部分での漠然とした疑問が奇妙な違和感の原因かもしれない。
全てを一様に、その時のニーズだけを考えて選択していくと、その時のそのニーズには合致しているが将来の環境変化に非常に弱い物が出てくる可能性が無いとは言えないのではなかろうか。

その様な負の部分に対しての透明性のある説明がされなかったことに、疑問が残るという意見が出ていたが、当然の話しである。(勿論、特段触れなくてはならない負の部分が、現状としては判って無いのかもしれないが、その様なことに対する漠然とした不安が遺伝子組み換え技術には残るのである。そして気が付いた時には既に遅しで、変化に適応出来る種は全く残っていないとか、人間が既に大きく影響を受けてしまっていたと言うことにならないとも限らない。

故に、遺伝子組み換え技術に付いては長期間での検証が必要と思われる。数年での試験では全く判らない、しかし重大な影響が隠されている可能性が無いとは言えないのである。


種無しスイカの種は?  自殺種子(ターミネーター)開発への不安
私はスイカや葡萄が好きである。スイカは種無しスイカが増えており食べやすいのが嬉しい。葡萄は多くの場合種があり、かじるとがりっとした音と共に、酸っぱい味がし、面白くない。何とか種無し葡萄にならないかと種無しスイカを思い出す事が多い。ここには自然に種無し種開発へのニーズがある。

現在の作物は種無しスイカ等、ごく少数の作物以外、種子が取れないものはない。
しかし、もし全ての作物の種がなくなり、種無しスイカの様に一代限りのものとなると、作物を植える農家は毎年種子を種子メーカーより購入しなければならなくなる。そうなった時、種子メーカーの儲けは莫大なものになり、世界の食料事情は一変する。

この為、種子会社としては、種子自体が毒素を発生する等、次世代の作物を生産出来なくなる様な、自殺種子(ターミネーター)の開発を意図的に狙う企業が出て来ても不思議は無い。それだけなら金銭の問題で終わるのでまだしもだが、もしその種子が大々的に採用され、他の従来種が廃れ、又は交配が進み、単独には存在しなくなったとする。その後、何らかの異変が起き、例えばある種の新しい病害虫に弱いとか、温度変化に弱いとか、何らかの環境に適応しなくなった場合、その遺伝子組み換え種子以外のものは既になくなっているとすると、全く対抗策が無い場合も考えられる。動植物の進化の過程は人間社会に取って常に好ましい方向に限るとは言えないのである。従って、遺伝子組み換え種子の取り扱いは余程慎重にしないと、困る。

現実に種子会社が自殺種子開発をしているかどうかは全く判らないが、特に明確に規制をしない限り、資本主義的に考えればその方向に向かう可能性がある事は自明である。その方が莫大な利益に繋がるからである。

注: 安原氏のHPに、上記ターミネーターテクノロジーの話が登場しますが、この技術を使った
   遺伝子組み換え作物は、現在、存在しない。(佐々木氏)


数社寡占状況での食料の支配
現実的に遺伝子組み換え種子は食料の増産と言う面では生産者に多くの恩恵をあたえており、其れが故世界的に普及しつつあるが、EU各国の様に潜在的に拒否反応を示す地域、国民も多い。一つの理由は先端技術を持った数社の寡占により、人間の生命維持の源である食料品生産の場、即ち戦略的最重要項目が数社に握られてしまい、根本的な食料の自給率が非常に低くなるからである。
数社による寡占状況の上に自殺種子の投入が始まれば世界はその数社に従わざるを得ない話となる。従って世界各国がその様な戦略的にに重要な問題での寡占状況を認める筈はない。いづれ大きな軍事・社会問題として取り上げられるであろう。


食料危機への救世主?
2025年には80億人に達すると予想される世界の人口であるが、世界中の人に食料を供給する為に食料生産を倍増する必要が有るとの事である。確かに現在でも、中国、アフリカ等、今生きる為に待ったなしで食料が必要とされる国、地域もあろう。この様な国々では将来の安全性等言っていられない。まずは食べて生き残らなくてはならない。多少怪しかろうが、何らかの毒物が低レベルで混入されていようが、そんなことは大きな問題ではない。今を生きるしかないと言うのである。その様な中では、多少怪しくても食料増産が選択される。そしてその様な傾向は2025年に向かい更に悪化し、食料を倍増しないと人類は生きて行けないとの予測である。

しかし、本当に其れで良いのであろうか?
食料増産を図る必要性を否定するものではないが、人口を増えるがままにして、それを維持する為に食料増産を最良の善とするのが正しい道なのであろうか。

自然淘汰と言う言葉があるが、必要以上に増え過ぎた種は自然界の掟に従い、ある許容範囲迄淘汰される運命の部分がある。人間も自然界の一員として考えると、そのキャパを考えずに増やせば、自然淘汰を受け入れざるを得ない部分があるのかもしれないと思う。
(良い悪いは別として、世界大戦等もその自然淘汰の一つの現れであるとする人もいる。)

食料事情の悪い地域、国の人々の、救援を待つ個人のレベルで考えると何とか救ってあげたい、あげるべきとも思うが、誤解を恐れずに言えば、オール地球での生物の成長と衰退のサイクルを考えた場合、冷たく惨いようだが自然淘汰されるのはごく普通のことであり、それが恐竜の絶滅を始め、各種生物の今尚繰り返される長い地球史のごく普通の出来事であるのではなかろうか。

人間が生きる為にアマゾンの全てを開発しつくし、全ての他の生物の生態系を破壊し、広大な自然の手付かずの緑を完璧な畑や都市に変え、地球の全てを人間界の為だけに使う事が許される良い事であるのかどうか、人間だけが、優先して生きられる、生きる権利があると主張するのが、長期的なオール地球に取り良いことであるのかどうかである。逆に自然淘汰を自発的に受け入れ、産児制限等の人口抑制策を取り入れるなど抜本的な仕組みを導入することの方が地球的には、そして結局は人間にとってもベターなのかもしれない。

カビの中からペニシリンが発見されて来た様に、害虫にも知られてない部分で何らかの益虫として作用している部分があるかもしれない。自然界にどの様な効能があるか、未知の部分はまだまだ多くあると思う。
故に食料増産は必要ではあるものの、遺伝子組み換え技術を「葵のご紋」宜しく、他の全ての弱い種を切り捨てる理由に使う事は未だ疑問が残るのである。

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